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47都道府県中、最も近代化に遅れて最悪を更新し続ける秋田県の最低な状態を告発していきます!!


by ilovejt15

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南部を往く

南部とは青森県太平洋側の地域。

かつては南部氏の本拠地であり、南部馬と呼ばれる日本土着の馬の産地でもあった。奥州藤原氏の戦力を支えた歴史を持つ。

今日は三沢市の航空祭にいったため、3年ぶりの南部探訪である。
南部を往く_c0184178_23143257.jpg

南部を往く_c0184178_23144891.jpg


三沢市の人口は約42000人。新設合併前の横手市と同じくらいのはず。ただし、そのうち1万人は米軍兵士とその関係者であり、日本人の人口は合併前の大曲市とさほど変わらない。

東北本線三沢駅は市の中心部から外れており、その距離は実に2kmに達する。しかし中心部は旧横手市の駅前中心部よりは比較的、都市区画が整理されている。今日は航空祭なので人がごった返しているので普段よりは賑わっていると思う。

南部を往く_c0184178_23225719.jpg

完全に4車線化してはいないが、中央分離帯のある4車線がところどころにある。

南部を往く_c0184178_23234314.jpg

三沢空港は1日3便。大阪行きと東京行きがある。その点、大館能代空港と大差は無いが、使用機材は中型機を使用。これはMD81?のはずなので100人は乗られる。しかし東北新幹線が八戸にある以上、東京便を小型化しても問題はないだろう。にもかかわらず、このような中型機を使用しているところに日本航空の経営問題が見て取れる。

米軍基地を受け入れることはメリットもデメリットもある。しかし、航空祭の効果は絶大であり、尾張小牧のナンバーの車も来ているので、観光面での収入はかなり大きいはず。今年はETC1000円もあって、3年前とは人の数が大きく違っていた。

米軍の基地の存在は厄介な半面、その恩恵で町を大きく出来るメリットも存在する。三沢(と言うより青森県)はその辺のバランス感覚がうまいと思われる。

南部を往く_c0184178_23305018.jpg

三沢へ高速を使わず、十和田湖経由で移動。十和田市は合併前は十和田湖に面していない。面しているのは十和田湖町だった。しかし十和田湖へは秋田県側より十和田市を通って、奥入瀬を通ると峠越えをしなくて済むので、小坂町側より観光面で大きく優る。

南部を往く_c0184178_23351568.jpg

十和田観光電鉄。名前の通り、電化されている。単線だが、2両編成。路線に沿って高校や、北里大学のキャンパスがあるため学生に大いに活用されているようだ。山中を縫う内陸線や、由利高原鉄道より需要度は高い。
写真は十和田観光電鉄の本社ビル。十和田市駅と同じ建物であり、かつてはダイエーのFC店が併設されており、ローカル線とは思えない立派さ。ただし現在は再開発が頓挫している模様。

南部地域が田舎と言えど(少なくとも秋田県の同等の市町村)発展しているのは理由がある。南部地域は陳情を岩手県にするという。理由はここが旧南部藩領であり、津軽を中心とした青森県への帰属意識が低いからだ。岩手県は総理大臣を多く輩出しており、かつての岩手南部氏の父祖の土地であるから、岩手出身首相の恩恵が受けられてきたからではないかと思われる。

青森・岩手双方の力がかかるのだから、八戸を中心とした商業圏60万人は大げさの表現ではない。

ちなみに南部・津軽の対立は戦国時代より始まる。津軽へ南部が侵攻したため、津軽の豪族安東氏は秋田へ南下した。しかし大浦為信が津軽郡代、石川高信を討ったため、対立は激化。石川高信は、盛岡藩祖の南部信直の実父である。

戊辰戦争時、弘前藩は奥羽越列藩同盟にも組せず、秋田のように官軍にも属せず、日和見だった。しかし、盛岡藩兵の大館侵攻時には支援したと言う。(大館を守っていた秋田藩兵が竹やりに火縄銃だったため、それを憐れんで、密かに武器など支援したらしい。秋田藩の主力は一時、酒田攻めに向かったため大館は手薄になっていた思われる。もっとも秋田藩は兵力が激弱で久保田城を出たときは戦国時代さながらであり、官軍と戦うため新式装備で固めた庄内藩に敵うわけがなかったのだが・・・)

ところが、官軍の反撃で盛岡勢が大館から撤退したとき、弘前藩は南部側へ侵攻したという。盛岡が負けたのを見計らっての行動らしいが、この時は撃退されて退却したそうだ。しかし南部側の津軽への不信は極まったのは言うまでも無い。その南部領の一部と支藩の八戸が津軽と合併して青森県が誕生したのだから、南部は南部で独自に発展しようと努力したのは間違いない。

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